沿革

大正10年

会長の先代・松葉捨吉が大阪市北区沢上町(現在の都島区都島6丁目)に於いて松葉製作所を創立、蓄音器の製造販売を始める。

昭和14年3月

旧本社工場(城東区野江東之町1の9)に於いて大阪蓄音器工業組合共同施設作業所(企業設備令による)として海軍監督工場の指定をうけて軍需品の生産に転換。

尚、第二工場(城東区野江中之町2の1)に於いても軍需工場として航空機の部品の生産に従事する。

昭和21年9月

ミシン部品。面板、丸板の製造販売に転換。

昭和22年3月

資本金50万円を以って会社組織(暁金属工業株式会社設立)とする。

昭和36年5月

城東区茨田浜町に茨田工場を新築。第二工場(野江中之町)の機械設備を移転。

昭和37年7月

茨田工場内にメッキ工場を新築。第一工場(野江中之町)の機械設備を移転。

昭和37年11月

茨田工場内に事務所を移転。組立作業所、その他倉庫等を新築(旧工場を廃す)。

昭和45年6月

資本金2,016万円に増資する。

昭和47年4月

アカツキ工業株式会社に社名変更。

昭和55年1月

メッキ工場の設備を一新。旧設備を廃し、全自動光沢Ni・Crメッキライン、パールブライトメッキラインを新設。排水除害設備の変更新設。

昭和61年4月

事業部制を採用する。 (第一事業部)ミシン関連の製造取り扱い (第二事業部)プレス金型制作とプレス加工 (本部)統括機能 プレス工場300㎡を増設し、ロボットラインを新設。

昭和63年7月

プレス金型専門工場として、平野工場を新設。

昭和63年10月

「花と緑の万博」用地のため、大阪市より土地収用される。東大阪市渋川町に第一事業部を建設、移転。

平成元年4月

大東市平野屋に第二事業部を建設、移転。

平成 4年3月

城東区新喜多1丁目にアカツキ京橋ビル竣工本部移転。

平成13年3月

本社ビル内にIT事業部あかつきデジタルラボを新設。